大洋丸乗船者徳永太郎と下枝夫妻

*昭和16年10月22日午後3時15分、大洋丸は横浜港を出港、
日米開戦迫るを知った在日米国人300人のハワイ送還船でした。
しかし、この時大洋丸真珠湾奇襲攻撃のため軍人2名を乗船させた
現地諜報船でもありました。

*とろで、このことを詳記する福留繁『史観・太平洋戦争』・
吉村昭大本営が震えた日』・二口一雄『豪華客船の航跡』も、
この時の大洋丸に、6月2日スイス公使館3等書記官に任命された
ばかりの徳永太郎・下枝夫妻が乗船したことを
記していません。
夫妻乗船を記すのは、坂本さん報知の鶴見俊輔「交換船」です。

*坂本さん報知「交換船」としたのは間違いで記事は「大洋丸
海日誌」2005年11月16日に記していたので再録します。

○徳永太郎は、1941年6月2日、在スイス日本公使館3等書記官に
任ぜられたが、独ソ戦でシベリア経由を断念、浅間丸で妻と横浜
を出航、しかし米国の在米日本資産凍結で、浅間丸は横浜に帰港。
しかし欧州赴任を果たすため、日米の政府間協定により運航の政
府御用船「大洋丸」で10月20日横浜出航、11月1日ホノルル到着。
徳永夫妻は数日後、米国船で桑港へ、大陸横断鉄道でニューヨー
ク到着。11月下旬出航、12月上旬リスボンに到着。マドリード
ら鉄道で12月8日、日米開戦の日ベルン着。駐スイス公使は三谷
隆信であった。
(「日本・欧米間、戦時下の旅」淡交社2005 p89 泉孝英)

*つまり大洋丸記事本は泉孝英「日本・欧米間、戦時下の旅」
でした。しかし、これも坂本さん報知本と記憶します。

*ところで、この本の著者泉さんは、その後の徳永夫妻がどうな
ったか記しませんが、ネットで「徳永太郎」と検索すると、その
前後の夫妻のことが詳しく出てきます。徳永下枝さんに聞く
インタービュー記事です。しかし、この長いインタービュー記事
は、本になっていると思うのですが、どなたか知りませんか。