大洋丸乗船者広橋百合子の歓送写真

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2007-07-08 00:49:12
大洋丸乗船者、大橋光吉と広橋百合子
テーマ:ブログ
○大正14年4月2日、博文館 専務取締役 大橋光吉は、

欧米各国の印刷業視察と、新鋭の機械購入の為に、

横浜 を東洋汽船 大洋丸 で出発して先ず米国 に向かった。

(「博文館 五十年史」博文館  1937 p297)



*またまた、坂本さんが大洋丸 記事をご報知。

「博文館 五十史」(坪谷善四郎 )は早大 (ネ1-3823)に

ありますが、大洋丸 記事が掲載されているとは、

知りませんでした、見にゆきます。ありがとうございました。

大洋丸 調査の私の関心は、こうして突然博文館 史のうち

にも大洋丸 が出てくることを知ったり、大橋光吉という人物

がどんな人物かについて、そこここを見るついでに、

ほかにも関心のある箇所を、あちこちと読んで、

大久保さんなどによって教えられた博文館 について、

さらに知ることになることを喜んでいます。



*郷里 石川県 志賀町 立図書館 の例年農閑期2月の万葉講座

能登 を行く大伴家持 」に毎度出席の茶木さんから、葬儀

で行った奥さんの実家で見たアルバムに広橋百合 子の写真

が貼ってあったと電話があった。広橋は昭和 7年6月30

日から2週間、大洋丸 乗船者であった。田中英光 の「オリ

ンポスの果実」に出てくる大洋丸 船上でヒロイン「熊本 秋子」

のモデル相良八重とふたり女子走り高跳び選手でロサンジェルス

・オリンピック に出場した。小説では「中村さん」である。

当時石川県 羽咋高等女学校 在学の16歳であった。

茶木さんはその羽咋高女が戦後、羽咋高校となったときの

生徒で、どうして奥さんの家のアルバムに広橋百合 子の

写真が2枚も貼ってあたのだろうか。

1枚はオリンピック で彼女が1米50を飛んでいる写真、

1枚は羽咋駅で町の人々に見送られている写真だそうである。



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